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鈴木貞美hp what's new 20172013 

2012−2006      

「鈴木貞美 hp」 または 「sadamisuzukihp.jp」 で検索してください。

 

『満洲事典』(筑摩学芸文庫)の原稿整理に追われています

 

(2017/06/19)

〇『日本人の自然観―いつから、自然を愛してきたか』第三章進行中です。

 

(2017/05/19)

recent lectures,  recent articlesに追加。

 

(2017/04/30)

〇「トマス・ハーディー『テス』−自然主義から象徴主義へ」(15/400)

  井上隆史責任編集『アウリオン叢書18 世界の長篇小説』

  (白百合女子大学言語・文学研究センター)に寄稿しました。

                            

(2017/04/19)

〇『「死者の書」を読む―折口信夫とその時代』原稿完成。

 

(2017/01/07)

〇『読売新聞』2017/01/06第2面、社会のコトバ「日記」(尾崎真理子編集委員)が、

『日記で読む日本文化史』(平凡社新書)にふれてくれました。

 

(2016/12/16)

〇「近現代と往還しつつ、東アジア古代の文化交流史を問い直す」(70/400)

 「古代文学と隣接諸学」シリーズ『古代の文化圏とネットワーク』(竹林舎, 2017予定)に寄稿しました。

 

(2016/12/13)

〇「ステファン・ドッド『青春のことども: 梶井基次郎の時代の生と死』に寄せて日本近現代文学研究を新たなステージへ

(100/400)を『日本研究』No.48(201710月刊行予定)に投稿。

 

(2016/11/26)

〇『出版ニュース』2017年1月初旬・中旬号に「今年の執筆予定」を投稿。

 

(2016/11/13)

〇『「死者の書」―釈超空とその時代』(2017年春刊行予定)を執筆中。

 

(2016/10/30)

〇著作一覧(2013) 以降に、

日記文学日記―以日本文学次級分類為,

王辰野・魏大海訳,

 李征・譚少華・魏大海編『日本研究; 東京・上海・広州―漂白的身体与文本』(2016/8)を加えました。

 「日本文学」概念の下位分類を考察した論考の第4ヴァージョンにあたるものです。

『「日記」と随筆―ジャンル概念の日本史』(臨川書店.2016/5)が第5ヴァージョンですが、

『日記で読む日本文化史』(平凡社新書,2016/9)で、「日記」の語源について新して説を出しました。

そこでは、王充『論衡』について、やや過激な解釈をしていますが、

これは、かつて学んだわたしと同世代の中国知識人のものが、そのまま出てしまったようです。

王充『論衡』については、機会を見て表現を改めるつもりです。

 

(2016/10/24)

 

missprint 訂正 『日記で読む日本文化史』に追加。

 

 

(2016/10/22)                                                                                 

 

〇インド・ネルー大学大学院のA.P.さんより、明治期知識人のキリスト教受容について、質問です。

 

〔質問〕 キリスト教は明治中後期にかけて、日本の若い知識層を強く引きつけたが、その後、

日本にはキリスト教は根づかなかった。それぞれの理由を教えてください。       

 

〔回答〕 pdf

 

 

(2016/10/19)

10/11付け記事をpdfとともに若干補填。

 

(2016/10/15)

〇インド・ネルー大学大学院のA.P.さんより、北村透谷「 各人心宮内の秘宮」(1892)について

二つの質問です。

 その一つは、今日の有名な日本語翻訳者の一人で、透谷研究者でもあるFrancis Mathy氏の

「心宮内の秘宮」の翻訳について。もう一つは同じく、それについての野山嘉正氏の解釈について。

質問と回答をまとめてアップします。                         PDF

 

(2016/10/11)

川平敏文さんのブログへのお答え

閑山子こと川平敏文さんのブログ〈2016/9/12() 午後 4:22〉に、

鈴木の『日記と随筆ジャンル概念の日本史』臨川書店、2016、以下『日記と随筆』)

について、コメントが記されていると、人から教えられて読んでみました。

 

『日記と随筆』で川平さんの『徒然草の十七世紀近世文芸思潮の形成』

(以下『徒然草の十七世紀』)にふれた個所へのリアクションでした。

 

『日記と随筆』の問題設定には「共感できる」とあるのは大変ありがたく、

一人でも、そういう人が増えることを願っています。

 

『日記と随筆』が「一種の文学史」の記述で、それが骨格を分かりにくくしている

というご指摘、そのとおりだと思います。

 

われわれの頭に刷り込まれている「日記」「日記文学」「随筆」「批評」「説話」など

のジャンル概念が、いつ、どのようにしてできたか、を明らかにすること、そして、

そのように、後に括られてしまった言語作品が、では、成立した当時においては、

何だったのか、その性格の解明を進めることが肝心と考え、手探りしてきました。

 

『日記と随筆』で、前近代の古典のジャンル概念全般について、はじめて論じる機会

を得たのですが、まだ手探りの段階にとどまっていることを率直に認めます。

 

その展開の仕方だけでなく、内容においても。

 「日記」の語源に関する考察を『日記で読む日本文化史』(平凡社新書、2016)

では訂正しました。

『日記と随筆』では、玉井幸助『日記文学の研究』(1944)に引っ張られたところが、

まだ残っていました

 

 以下、具体的に長くなりますので、リンクを張ります。  pdf@

 

また、川平さんも「パラダイム」の語を用いています。ある論考(未発表)の一部で、

「パラダイム・シフト」論と「概念編制史」研究とのちがいを明確にしてあります。

その部分を抜き出して、リンクを張ます。   pdff

 

(2016/10/09)

10/07の本欄記述につき、浅岡邦雄さんから、丁寧なアドヴァイスをいただきました。

『文学界』昭和十二年三月号、川上喜久子「光仄かなり」の禁止理由は、安寧処分で、

「・・・全般ニ渉リ反軍反戦的思想ヲ宣伝スルモノト認メ禁止」と『出版警察報』第101号

にあるそうです。

  差押状況については『出版警察報』第102号に、警視庁管下の「文学界」五〇〇〇部

発行が六割一分三厘の好成績を収めて居る。(中略)前記五割の成績も帰する処は発行部

数大なる「文学界」の執行によつて描き出された数字」とあるそうです。

 「文学界」の差押部数は、発行部数5000部中3065部。当然ながら、東京が圧倒的に多く、

1682部、最低は兵庫県のゼロ、とも。

「以上のことから、小林秀雄の言を信じてはいけないことがお分かりいただけますでしょうか。

小林の書いていることなど蹴飛ばして、『出版警察報』をご覧になると良かったですね」と𠮟ら

れました。 肝に銘じなくてはいけません。

 

(2016/10/07)

〇著作正誤表をrenewalしました。 pdf

 

〇『「文藝春秋」の戦争―戦前期リベラリズムの帰趨』(筑摩新書、2016, p.215)に、

お知らせしておいた方がよいと思われるミスが見つかりました。

『文学界』昭和十二年三月号の小林秀雄「編集後記」が、前号掲載の川上喜久子

「光仄かなり」が全面削除を命じられたことに「発禁」という語を用いている、という意

味のことを書きました。が、これはわたしの失策です。小林秀雄の原文は、次のよう

なものです。

 二月号は川上喜久子氏の「光仄かなり」が原因で発売禁止となつた。切取還附

を受けて発売する案も実行しかけたが、何しろ七十頁もある力作で、削除した

上では売り物になりさうもないので、残念乍ら屑屋に廻した。

編輯の不注意から読者に御迷惑を掛けて甚だ相済まぬ。

    これは、法律用語でいえば、「発売頒布禁止」を受け、「分割還付」の申請をしよう

としたが、やめたということです。申請し、許可されれば、作品掲載頁を切り取り、雑誌を

市場に流せるが、雑誌の体をなさないので、諦めたという意味です。

ひとつだけひっかかるのは、「屑屋に廻した」とあることです。まだ、流通にのせておら

ず、警察の差し押さえにまでは至っていない段階だったと考えられます。

実は、わたしは、そこで、変に気をまわして、作品全編削除命令が出たので、取次に

まわさなかった、と想像してしまったのでした。小林のいう「切り取り還付」は、やはり

「分割還付」の一般向けの言い換えと判断すべきでしょう。お詫びして訂正します。

   最近、検閲についての本を何冊か読んでいて、いろいろ気になることが出てきたの

で、浅岡邦雄さんに質問し、丁寧に答えていただき、自分がこれまでに検閲について書

いてきたことに疑心暗鬼になって、ざっと一渡りチェックしているうちに、最近の著作にミ

スを見つけたという次第です。誤記誤植訂正表には記入済みです。

昭和二年『改造』九月号の中里介山『夢殿』第四回について、わたしの旧稿は「掲載

禁止」としていました。これは周辺資料に「内務省命令により掲載禁止処分を受け、全

文削除(実際には印刷された雑誌からの切取処分)」とあったことによるものです。

この例が記憶にあり、川上喜久子「光仄かなり」の『文学界』掲載号も同じケースと

考えてしまったらしい。そんな気もします。

なお、浅岡さんは、部分的削除の命令も大正期のうちから、あることも教えてくれ

ました。いわゆる「内閲」の実態についても、面倒なことがいろいろあるようです。わたし

は政策による検閲基準の変化に神経を使ってきましたが、制度とその運用についても、

よく気を配らないといけない。何とも悩ましいことです。検閲については、浅岡さんの決

定版に期待しています。

 

(2016/10/05)

recent articles に、2014年吉林大学外国語学院国際研究集会での基調報告

「日本文化の近代化のしくみと『近代の超克』―

ノーベル文学賞作家二人の受賞講演を手がかりに」を追加。

 

(2019/09/27)

○北京の清華大学での集中講義から戻りました。

 またいくつか収穫がありました。王成先生、王中忱先生ありがとう。

 

(2019/09/19)

○北京の清華大学に集中講義に出発します。

 

(2016/09/18)

○9月17日、長春の吉林大学での集中講義より深夜に帰宅しました。

公開講演会「日本の都市文化」をふくめ、集中講義では、日本文化史を古代から今

日まで、概説。

  日本の東北大学とのナショナリズムをめぐる共同シンポジウム、東北アジアの言語

文化をめぐる例年の国際シンポジウムを含め、実に収穫の多い3週間でした。

周異夫外国語学院長をはじめ、みなさま、ありがとう。

  東北大学との共同シンポジウムでは、「満洲国」建国と経営にはたした蝋山政道の

役割について報告を、国際シンポジウムでは、日本の「文学」とその下位概念について

基調報告しました。

 前者は、『「文藝春秋」の戦争―戦前期リベラリズムの帰趨』(筑摩選書)に発表したも

の。後者では『日記で読む日本文化史』(平凡社新書)までの最新の成果をまとめまし

た。

193812月の近衛文麿声明を受けた汪精衛「東亜と中国」(『中央公論』193910

月号)の原文が中国でも発表されていたことが確認できました。遅くとも、『大亜洲主義

論文集』(中国国民党中央宣伝部、 1940)には掲載されています。むろん、蒋介石の反

論も掲載されています。

 また、大内隆雄が検挙以前に『新天地』に寄稿していることを日本の一橋大学から

帰国した院生の呉丹さんに教えてもらいました。当時の日満における左翼の事情を

よく考えれば、彼の「転向」をめぐる議論に決着がつくと思います。

 

(2018/09/01)

『聖教新聞』(08/27)に『「文藝春秋」の戦争―戦前期リベラリズムの帰趨』の書評が出

ました。こういう読み方をしてくださる方が少なくなった気がします。 感謝!!!  pdf

 

 (2016/08/26)

○8月29日〜9月17日まで長春の吉林大学に集中講義と国際シンポジウムに行き

ます。

○『日記で読む日本文化史』(平凡社新書)2016/9/17iに刊行されます。

日本の「日記」文化史を概括する一書。

 

 (2016/07/22)

〇『鴨長明―自由のこころ』の短評が『日刊ゲンダイ』7/7, 『朝日新聞』7/17に。

 

(2016/07/02)

『宮沢賢治―氾濫する生命』の誤記を訂正します。

栗原敦さんのご指摘によるものです。『賢治研究』(宮沢賢治研究会)128

栗原さんありがとう。      pdf

 

(2016/07/01)

〇『鴨長明―自由のこころ』の短評が出ました。読売新聞2016/6/26

  「読み応え十分の新・長明論だ」。評者は、青木千恵さん。ありがとう。

 

(2016/06/28)

〇『「文藝春秋」の戦争―戦前期リベラリズムの帰趨』の書評が出ました。

 評者は、川村湊さん。『公明新聞』 2016627日付第4面。pdf

 ありがとう。

 

〇誤植訂正表

●『「文藝春秋」の戦争―戦前期リベラリズムの帰趨』筑摩選書、

 および『鴨長明―自由のこころ』ちくま新書   二著共通  pdf

 

『近代の超克その戦前・戦中・戦後』及び『「文藝春秋」の戦争―戦前期リベラリズムの帰趨』

を読み、日本の政策の変遷は理解できたと思うが、国家制度はどうなのか(とくにファシズムとの

関連)という質問が、国立大学博士過程後期の院生から寄せられました。整理して書いてはいない

ので、お答えしておきます。

日本近現代の国家制度 pdf

 

(2016/06/24 )

〇『日本の「日記」文化』(平凡社新書、2016/10予定)を脱稿しました。

    「日記」の語源から、もう一度、洗い直し、古代から今日まで、日本の「日記」概念とスタイルの歴史的変化を整理し直しました。

今日の視点に立つ「日記」の読み方論。何でもそうですが、大切なのは、対象の性格をわきまえて読むことでしょう。

 

(2016/06/14)

○『鴨長明―自由のこころ』につき、中世史の専門家、本郷和人さんが、これ以上ないほどの好意的な書評を書いてくれました。

 『サンデー毎日』2016/6/8号。 感謝感激です。ありがとう!!! pdf

 


(2016/06/06)
 
○「リベラリストたちは、なぜ、戦ったのか」  『ちくま』2016/6 pdf

  右上段後から7行目 『NLF   『NRF』  

 

 ○新聞記事コメント、アップ・ロードします。

 2016/05/23  中村真一郎 パリの休日  京都新聞夕刊1面 pdf

 

(2016/05/12)

*『文学』掲載の旧稿2点、別々にですが、問い合わせがあり、アップ・ロードします。

容量の都合で、どちらも2分割しました。

〇 堀辰雄『芥川龍之介論』をめぐって」

『文学』特集「堀辰雄」2013/9,10月号pp.139-159 pdf() 

pdf()

堀辰雄が芥川龍之介から受けついだもの、発展させた方向を明らかにする。

 

昭和モダニズムの大正文壇思潮からの連続性と断絶の一端を示す論考。

 

〇「野上豊一郎の『創作』的翻訳論をめぐって―翻訳の文化史へ」       

『文学』「翻訳の創造力」2012/78月号pp.150-169  pdf() 

pdf()

  

野上豊一郎の翻訳論は、最近、英語圏で出されている文化的差異を際立たせ

 

る翻訳戦略論をはるかに先取りしていた。その内実を検討する。

 

*『日記と随筆ージャンル概念の日本史』臨川書店「日記で読む日本史19(p.294)

5月12 日に書店に並びます。

「日記」も「随筆」も江戸時代まで、ひとつのジャンル概念としては成立していなかっ

た。「平安女流日記文学」は、「修養日記」と「私小説」「心境小説」の隆盛を背景にし

て、1920年代を通じて新たにつくられたジャンル概念、「随筆」は西洋近代のエッセ

イを受け止めながら、1930年代に「雑文」の代名詞のようにして用いられるようにな

ったもの。「説話」「批評」を含め、古代からのジャンル概念を辿りなおし、われわれの

思考を縛っている近代的「文学」「芸術」概念を問いなおす。

 

*『鴨長明―自由のこころ』(ちくま新書)(p.256)が5月10日に刊行されます。

 歴史学者、五味文彦氏による周辺史料の訂正解読を踏まえ、鴨長明はなぜ、後鳥羽

院和歌所から遁走したのかをはじめ、その生涯にまつわる謎を解き、長明歿後の伝

説、評価史を再検討、その著作『無名抄』方丈記』『発心集』を総合的に論じる。

 

*『「文藝春秋」の戦争ー戦前期リベラリズムの帰趨』筑摩選書(p.382)が4月 15 日に

  刊行されました。

旧著『「文藝春秋」とアジア太平洋戦争』(2010)に新史料と新知見を加えて大幅に増

訂。菊池寛と小林秀雄ら『文学界』グループが、なぜ、あの戦争に深くコミットしていっ

たのか。時々刻々変化する国際情勢と政策の進展、それに対する自由主義者たちの

言論の変遷を解明する。 事後的につくられた「大東亜戦争史観」、戦後に形成された

「東京裁判史観」をともに批判し、戦後民主主義を支えた歴史観を再考するための一

書。いま、自由主義、民主主義、立憲主義の内実が問われている。 

 

 

*インド・ネルー大学での集中講義より戻りました。いろいろと収穫の多い充実した一か月でした。

みなさんありがとう。

 

2/26 「日本文学研究のキーワード―文学、芸術、日本文学、言文一致」

ハイデラバード英語外国語大学(EFLU   

2/18 「日本文学―自然主義から象徴主義へ」

ネルー大学・デリー大学合同講演会 

2/3 2/8 2/10 2/17 2/22 2/24  ネルー大学(JNU)日本語日本文学科大学院 集中講義

 

(2016/01/25)

*台湾輔仁大外国語教育のワークショップから帰りました。

 

日本からの方をふくめ、先生方、院生のみまさんからもさまざまな収穫をえることができました。

 

 

*2016/01/2223 台湾輔仁大學教育部 2016 年度基礎言語及び多文化能力育成プロジェク

 

ト第二外国語教師ワークショップで講演予定の論文です。

                

       (1) 「明治期『言文一致』神話を掘り下げる」 pdf

 

(2)「パラダイム・シフト論から概念体系の再編制史の研究へ―

日本近現代における古典ジャンルの発明をめぐって」 pdf

 

(2016/01/05)

*講演録「日本近現代におけるシルク・ロード―国際戦略と学術の動き」が全国大学国語国

 

文学会機関誌『文学・語学』第 214 (pp5873)に掲載されました。

 

「シルク・ロード」をユネスコの世界遺産に登録させたプロジエクトの推進者は、あの

 

エリセ―エフの息子さんでした。そして、いつ、なぜ、誰によってよって「シルク・ロー

 

ド」と名づけられたのか、を問うなら、18 世紀ドイツにおけるシノワズリーの産物という

 

ことがわかります。今日研究の進展は、それは「シルク」よりも、紙や仏教の、しかも、

 

「道」ではなく、バザールのネット・ワークとしてとらえるべきことを告げています。

 

          19 世紀後期からの中央アジアの探検は、20 世紀には国際情勢と強く結びついた

 

もので、日本との関係を探れば、実にさまざまなことからが浮かんできます。

 

文芸においては、宮沢賢治のチベットの関心、また、井上靖の「シルク・ロード」への

 

関心の芽生えを促したも背景からも興味深い問題が出てきます。

 

         そして、今日の敦煌遺跡の調査は、井上靖の戦後の小説「敦煌」を「歴史離れ」とも

 

言えないところに追いこんでいます。なぜなら、遺跡を埋めたのは、西夏にちがい

 

ないからです。

 

そして、西夏との戦に負けた責任をとって辞した北宋の将軍が沈括で、彼の『夢

 

蹊筆談』は、そののちの仕事です。今日、中国の技術史を伝える「随筆」とされて

 

いますが、しかし、随筆の嚆矢は南宋の洪邁の『容斎随筆』であることは定説です。

 

沈括『夢蹊筆談』と洪邁『容斎随筆』は、題材の範囲は異なるとはいえ、同じく撰述

 

書です。では、何がちがうか。

 

  こうして「シルク・ロード」を巡る旅の途上に、歴史とは何か、随筆とは何か、という

 

大きな問いが浮上してきます。

 

 

 

* 『「日記」と「随筆」―記述ジャンルの日本史』(臨川書店, 2016/4 予定)再校完了しま

した。

 

*(12/15)

『鴨長明―自由のこころ』(ちくま新書, 2016 予定) 2 稿を完成しました (330

/400 )

 

 

*(12/01) ◎江戸時代、漢詩文の音読と黙読について

 

吉林大学での集中講義中、ある先生との質疑応答を紹介しておきます。

 

〔質問〕「江戸時代には、町人層にも漢詩文の学習が及んでいたこと、それとは別に、前

 

田愛『近代読者の成立』の根本理念、「音読から黙読へ」説がまったくの誤りだと

 

いうことも, 具体的な事例をあげた説明でよくわかったが、漢文でも黙読はあった

 

のか。日本に留学したとき、日本では素読が重んじられたと習ったが」

 

〔回答〕江戸時代の中期ころに町人層に漢詩文の学習が盛んになっていた例証としては、

 

    江村北海の漢学入門の手引書『授業編』全一〇巻(一七八三)をあげることができ

 

        ます。その第二巻に「読書三則」という章があり、そこに、漢文の読書には「音読」と

 

「黙読」のどちらが適しているか、という質問に答えて、どちらも一長一短があると答

 

えているところがあります。黙読には「看読」という語を用いて, 「精読」に適していると

 

述べています。

  

     なお、これは、明治以前の文例を調べるとき、最初にあたってみるべきものとして

 

紹介した『古事類苑』の「文学」部「読書」篇「読書法」に「黙読」の見出しのもとに引

 

かれています。日文研データベースで簡単に確かめられます。pdf

 

       漢文の初学者には長く素読が重んじられたのは確かですが、一九世紀末には

 

幼児には幼児に適した教育をという理念が浸透しますので、新旧中間層の子供でも、

 

高等小学校から漢文書き下し体の学習に入り、漢文学習は中学校からになります。

 

そして、日清戦争後、暗誦と作文が必須でなくなるので、そのあとの世代からは、  

 

漢詩文を読めても、書けない人が多くなります。

 

 

*(11/16)『宮沢賢治―氾濫する生命』書評が『図書新聞』11 21 日号に掲載されました。

 

評者は澤村修治さん。感謝!!!    pdf

 

 

*(11/14) 11 13 日深夜に吉林大学外国語学院での集中講義より戻りました。

 

10 月、内蒙古大学より、11 月、吉林大学より客員教授を拝命いたしました。

 

 

*(10/15)済州大学文理統合国際シンポより戻りました。

 

とても興味深い報告の並んだシンポジウムでした。

 

 

* 『「日記」と「随筆」―記述ジャンルの日本史』(臨川書店, 2016/4 予定)を脱稿。

 

 

*旧知の吉林大学外国語研究院院長・周異夫氏より、次の書物の提供を受けました。

 

吉林市の特別委員会編『鉄証如山』全 3 (2014)

 

吉林省档案館が所蔵していた旧「満洲国」の関東憲兵隊が焼却し損ねた史料を整

 

理し、その写真版と中国語訳を掲載するもの。以下、簡単に紹介します。

 

『鉄証如山―吉林省新発掘日本侵華档案研究』庄厳主編(吉林出版集団責任公司) 

 

リードに「国家社会科学基金特別委託重大項目」とある。すべて B4 判。

 

第一巻 2014 4    729 頁、定価 190  

 

第二巻 2014 7 641 頁、定価 170

 

第三巻 2014 7 490 頁、定価 130

 

○第一巻には、南京各地区憲兵隊による「治安回復」状況報告の通牒および慰安婦関

 

連書類(1938 3 )、日本軍の暴行や軍隊内の犯罪などの報告、「満洲国」関連の

 

移民、労工、抗日運動対策、また対米英戦争期の捕虜関連史料をおさめ、第二、三

 

巻には、関東憲兵隊司令部による「郵政検閲月報」記事が掲載されている。

 

○多くは焼け焦げており、関東軍憲兵隊が退却の際に焼き払おうとしたが、焼け残っ

 

たものを中国軍側(国共のどちらか)が押さえ、档案館に保管していたものと推測され

 

る。史料の中国語訳に携わった周異夫氏は、未整理のものが多数残されているとい

 

う。

 

○『鉄証如山』第一巻第一部には、巻頭に華中派遣軍兵隊司令官・大木繁の署名入り  

 

通牒(1938/2/28 )を列挙、日本軍の攻略以前、南京には約百万人の一般住民がいた

 

が、一九三八年二月までに、避難民のうち、三三万五千人が帰ったことを告げる憲

 

兵隊史料(五四頁)、また日本軍の「野獣」のごとき行為をイギリス宣教師が英国新聞

 

に寄稿したことをドイツ人が天津のイギリス租界に住む中国人に告げる手紙などの

 

抜粋もある(一一〇頁)

 

○そのなかに、『大阪毎日新聞 (奈良版) 』一九三七年一二月二三掲載の「南京総攻撃  

 

観戦記 光本本社特派員」➂の写真版が収録されている(一〇二頁)。末尾に

「完」と

 

あり、三回連載記事と知れる。そのごく一部を抜く。

 

 「かくして城内の掃討も十四日午後五時一まず終つたので○○本部では南京総攻

 

撃以来の敵の死体計算を始めた/その結果大体城外攻撃三日間に倒した数はなんと

 

七万、城内掃討で一万五千、ほかに生捕りにしていまなほ処置に困つてゐるものが

 

各部隊を合して一万二千である。」

 

そのあとに分捕った兵器類の数がつづく。これは、わたしがこれまでに見た日本の  

 

新聞の関係記事の内、最も遅いもの。日本軍が数えた遺体数としては最も精確な報

 

道であろう。当時、日本で知られていた数字に近いが、掃討は年末まで行われるこ

 

とも、この記事は伝えている。そして南京では、かなりの捕虜の虐殺も知られてい

 

る。 (中国側公式の数字「30 万人」は、上海事変の日本軍空爆による死者から後遺

 

症による死者数を積算したもので、数え方がちがう。わたしは擦り合わせ可能と考

 

えている)

 

○慰安婦関連では、華中各地の兵員概数、慰安女婦の数、慰安女婦一人に対する兵員

 

数が表にされており、たとえば、江蘇省西南部の都市、鎮江には一〇九名の慰安女

 

婦がおり、本旬中(一九三八年二月中旬と推定される)に「慰安所ヲ利用シタ将兵、五

 

七三四名アリ」という記録も見える(一一九頁)

 

○軍人の犯罪記録のなかには、任務遂行中に抜け出して慰安所に遊びに行った兵隊の

 

記事もある。

 

○第二巻には、一九三九年五〜九月、一二月の「郵政検閲月報」、約四五〇件の記事

 

が月毎に掲載されている。吉林省在住者宛て、および在住者が発信した郵便の検閲

 

記録で、没収ないし抹消処分を受けた部分が抜き書きされている(漢字カタカナ、濁

 

点省略のタイプ打ち)

 

その範囲は、関東軍兵士(部隊では上官の検閲を受けるため、街で投函したも

)、日

 

本人在住者、中国人、朝鮮人、ロシア人、外部からの通信にはアメリカ人宣教師な

 

どのものも交じる。ごく一部を抜く。ただし、固有名詞の一部を伏せる。

 

「六月八日、奉天工藤部隊 木村××()より 石川県金沢市醒ケ井町 木村××

()

 

国境方面ノ連中ハ露西亜人ヲ交代テ娘ト言ハス強姦モ片端カラ毎日ノ如ク犯シテ居

 

マス此方面テハ満人女ヲ片端カラ連中ハ地理ト言葉カ判リ毎日昼夜ノ別ナク強姦

 

ヲシテイマス

 

第一線詞支那大陸ノ兵隊モ北支、南支、中支ノ方カラ来タ特務機関ノ連中カ語ル

 

処ニ依レハ戦線ノ兵隊モ敵部落ノ占領ト同時ニ女探シ血眼トノコトテス()   押収」

 

 「六月二〇日(哈爾浜)、横浜市中区南太田町一ノ一 久納××()より  

哈爾浜新市街ホテルオリエント 広島××男宛  

  

 過去ノ活動ノ経験ヲ鼻ニア〔カ〕ケテ現地ノ農民工作ヲ始メ其他ノ組織活動ニハ  

 

斯ル経験ガモノヲイフノタト言ハンハカリノ顔ヲシテヰルノカ相当イタトノコトカ

 

ヲ〔フ〕言フ考ヲ持ツタ者カ居ルトスレハ他ノ真面目ナ同友達ハ陰ニ陽ニ迷惑スル

 

場合カ想像サレルノテ其ノ様ナ人達ハ早ク転向者ノ殻ヲ脱スルコトカ必要テアル 

             

発信者所属憲兵隊ニ通報シ関係者ノ動静視察中」

  

憲兵隊の対処も様ざまである。  〕は、もとの書簡ないし転記の際の誤写と見て引

 

用者が付した。なかには、化学戦(七三一石井部隊)関連の史料も見える。

 

○第三巻には、一九四〇年一〜七月の「通信検閲月報」の記事を掲載。兵隊の絶望的  

 

な不満をぶつける文面も多い。

 

 ○頁を繰るたびに暗澹たる気持になる。憲兵隊は、軍規保持を目的とする立場にあ

 

る者。その書類処理の杜撰さは、何よりも軍が軍としての体をなしていなかったこ  

 

とをよく示している。とても戦争を構えられるような国ではなかったことを、今更

 

ながら、思い知らされる。

 

自らの力を判断する能力があれば、戦争を回避する努力をしたはずである。満州

 

事変も起こしてしまってから、方策を思案したのは明らかである。

 

 

*『体系的研究法』に訂正追加。『栄華物語』中の光源氏の比喩は「殿上の花見」に最も典型的

 

に現れています。講義しながら、「鶴の林」と記してあることに気がつきました。

 

 

*『宮沢賢治―氾濫する生命』への吉田文憲氏による書評が『東京/中日新聞』(9/13) に掲載

 

 されました。「研究書としては第一級の入門書」という評は、ありがたく受け取ります。

 

宮沢賢治研究の「新たな地平を拓く」つもりで書いたものですから。

 

宮沢賢治の世界のしくみとそれにあった研究方法を述べた章が「導入」のように受け取られ

 

たようです。また、わたしの研究では、詩人や作家の文芸・文化史上の位置づけは結論、す

 

なわち最終出口にあたります。

 

 

*「戯詩 釘抜き師」 20 日間長春に発つ前に pdf

 

 *『リベラリストの戦争―菊池寛と「文学界」の人びと』(本文 570 /400 )を脱稿。

 

戦後 70 年。リベラリストたちは、なぜ、戦争に深くコミットしたのか? 菊池寛、小林秀雄、

 

河上徹太郎、横光利一、三好達治・・・それぞれの軌跡を問いなおす。

 

再版希望が寄せられていた『「文藝春秋」とアジア太平洋戦争』(版元倒産により絶版)を全

 

面改訂。20%増。

 

 2015/8/11

*『近代の超克―その戦前・戦中・戦後』訂正表に、さらに追加がでました。注の青字部分

 

 *わたしの『日本文学の論じ方―体系的研究法』中、谷崎潤一郎『細雪』について、

「抵抗の

 

文学ではない」とする意見を「二重の誤り」と書いてあるが、谷崎が自分で、「戦争反対の意

 

志はなかった」と言っているのに、なぜ、そのようなことが言えるのか、詳しく説明してほしい、

 

という質問が寄せられました。

 

「生身の作家」還元主義を批判する文脈に例として出したものです。

 

➀まず、谷崎潤一郎『細雪』は不定期連載の第二回で禁圧を受けました。

 

対米英戦争期の権力者は日本の社会にとって、不都合なものと判断したのです。これ

 

は客観的事実であり、動きません。

 

このことは、作家がどういうつもりで書いたか、ということと、まるで無関係なことです。たとえ、

 

それまでに「大東亜戦争」に協力する意志を表明している作家であっても、です。

 

そして、第二回までに、直接、戦争の時局に対する作家の姿勢をうかがせわせるような 

 

ことは何も書かれていません。

 

         では、なぜ、権力者が、時局にとって不都合と判断したのか、それを考えてみることが

 

必要になります。贅沢を戒めるべき時局に、かつての金持ち層の贅沢な生活な場面を

 

繰りひろげてみせる小説など、不適当と判断したと推測するしかありません。

 

そして、谷崎は禁圧された『細雪』の前半を自費で印刷し、友人知己に配り、これも禁

 

圧されました。情報局にとっては、先の禁圧に立て突く態度に映ったことでしょう。

   

対米英戦争下で、谷崎の姿勢が、その意味で反体制の意味をもっていたことは誰にも

 

否定できません。

 

もともと谷崎は、エロティシズムをこれでもか、と振りまく作家で、「検閲官」(1919)では、

 

風俗壊乱をめぐる検閲の不当性を小説化しています。当局のやり玉あがりやすい作家 

 

でした。これについては、これまでに再三書いてきました。

 

作家の自作解説など、まったくアテにならないことを『研究法』では具体的事例をあげて

 

示しています。作家の意志は、こうであったということを示すことは、すなわち作品自体

 

の社会的意味を示すことにはならないのです。そして第二は、谷崎潤一郎が、第二次

 

世界大戦の直後に、作家たちが、そして自分も、だんだん軍部に巻き込まれたというこ

 

とをはっきりと述べています。

 

自分は「戦争」に反対する意志から『細雪』を書いたわけではないという意味のことばも、

 

この意見の変奏として考えてみなくてはなりません。

 

実際、『細雪』には、ドイツ人の口からイギリス帝国主義批判を語らせてもいます。ドイ

 

ツ人なら当然と思われる内容です。そして、谷崎自身「大東亜戦争」には、アジア解放 

 

のための戦争という一面があると信じていたと思います。

 

しかし、他方、戦争自体が槇岡家の人々にとっては、厄災のひとつであったことも明

 

確に地の文で述べています。

 

  「生身の作家」がいつ、どのようなことを語ろうと、作品は、槇岡シスターズをめぐるも

 

のですから、「作品の背後の作家」は、槇岡家の人々にとって戦争は厄災のひとつに感

 

じられた、ということを、作品全体を通して具体的に開陳していることになりましょう。

 

もちろん、そのような戦争観をどのように評価しようと、それは論じる側の勝手です。

 

が、この作品のモチーフ自体は動かしようがないのです。以上が答えです。

   

同じようなことは、石川達三『生きている兵隊』にも言えます。たとえ、石川達三自

 

身が、のちに「南京虐殺などあったとは信じていない」と語ったことがあるからといって、

 

南京攻略戦に実際にかかわった兵士たちから取材し、それをルポルタージュ風の作品

 

にしたてたこと、掲載誌が発禁処分受けただけでなく、訴追まで受けたことは動かしがた

 

いのです。

 

 そして、当局が、南京事件を徹底的に伏せさせたことについては、再三書いてきまし

 

た。

    

   むしろ、生身の作家に「南京虐殺など事実としてあったと自分は信じていない」と語らせ

   

るような社会的な圧力が、加えられたと考えた方が自然でしょう。

 

    ○日本の近代文学の研究者のなかに、作品とその著者の考えとを同一視する態度があ

 

     ることは、本当に度しがたいものです。批評でも同じです。

 

     高見順『いやな感じ』についての本多秋五の批判が、高見順のいわんとすること――

 

戦後左翼が陥っていた階級闘争主義に対する批判――をまったくつかめずに、独善と

 

欺瞞に満ちたものであることを述べたついでに、本多秋五を「ヤクザな批評家」と書い

 

たことがありました。

 

それに対して、ある高名な研究者から、顔を合わせたとたんに、こう言われたことがあり

 

ます。「本多さんは紳士ですよ。あんな紳士をヤクザだなんて」と。お前は、そんなことも

 

知らないのか、といわんばかりの顔でした。

 

あっけにとられて、思わず、こう言い返してしまいました。「まるでヤクザな内容のことを

     

書いているから、批評家としてヤクザだと書いたのですが」。

          

紳士然としている人が、そういう人の述べていることが、まるで、ヤクザと同じだ、わた

 

          しはわざと書いたことを伝えたのです。

 

(いや、それは仁義を知っているヤクザに対して失礼な言だったかもしれません。)    

    

とても、いやな顔をされたことを覚えています。この研究者は態度、物腰が「紳士」なら、

     

書いていることも「紳士」と固く信じているのです。

     

志賀直哉が『濁った頭』などを「苦しみながら書いた」と事典に書くような研究者、といえ

 

ば誰のことか、わかる人は多いと思います。「性」のことを書くのに、「志賀先生は苦しん

 

だ」と書くことで、志賀直哉の「人格」を救済したつもりになっているわけです。

 

ここには、悪しき実証主義と悪しき人格還元主義が重なっています。まったく度しがた

 

い風潮が、かつて――と思いたいのですが――蔓延していたのです。

 

このような風潮から一刻も早く抜け出ることをおすすめします。もちろん、ロラン・バルト

 

が言った「作家が死んだ」という意味もつかめずに、それを文字通りにとって、吹聴し、

 

た人びとのように、裏返しの態度に陥り、読者の勝手を振りまくことがあってもなりません。

 

テクストの解釈は、テクストにそってなされるしかないのです。

 

これも『研究法』に書いてあります。念のため。

 

(2015/7/27)

 *川端康成「表現主義的認識論」について J.T さんへの回答(27 /400 ) pdf

  

    川端康成について研究している日本の研究者(J.T さん)から、

 

川端が『文藝時代』(1925 1 月号)に書いた「新進作家の新傾向解説」中「表現主義

 

的認識論」がよく分からない、

 

わたし(鈴木)の『生命観の探究』『入門 日本近現代文芸史』を参照して、横光利一の

 

「感覚活動」についての解説はよくわかった。が、川端康成については、はしょってある

 

感じがする。

 

なぜ、それが「表現主義的認識論」と題されているのか、また生命主義との関係につい

 

ても尋ねたい、という質問が 6 月中頃に寄せられていました。

 

 今月締め切りの論文、エッセイが一段落したので、回答を書きました。

 

*竹村民郎著作集完結記念文集(三元社)への寄稿文「竹村民郎先生へ」 (10

/400 )

 

を脱稿しました。

 

(7/23)

    *「自然環境と心=身問題のために―概念操作研究の勧め」(45 /400 )を脱稿。

 

日文研伊東貴之班共同研究報告書『「心身/身心」と環境の哲学―東アジアの伝統思 

 

想を媒介に考える』(仮題)(汲古書院)に寄稿予定です。デカルトの心身論、主客二元論

 

をめぐる欧米の評価史の概略を、評価する側の概念操作に着目しながら辿りなおし、

 

かつて日本文化特殊性論の高まりのなかで、それに東アジアないし日本の伝統思想とし

 

て対置された主客合一論の由来を明らかにします。

 

さらには「自然にやさしい日本人」や「概念が苦手で個別具体の細部が得意な日本人」

 

などの俗説が生まれた過程も示します。

 

(7/22)

 *概念編制史研究についての論文(中国語訳)が『山東社会科学』に掲載されました。

recent articles に追加。

 

 

 *『宮沢賢治―氾濫する生命』700 枚強/400 /作品・人名索引つき(左右社)が

 

7月 25 日ころより書店に並びます。 目次 pdf

 

賢治ワールドを同時代の文芸・文化史にひらくニュー・スタンダードと自負しています。

 

     宮沢賢治の仕事は極めて個性的です。が、孤立しているわけではありません。

 

詩は当代の詩史に、童話も当代の童話史に位置づけられます。むしろ、当代の

 

文芸・文化史の産物ともいうべきものなのです。

 

当代の自然科学、哲学、仏教思想、また詩や童話の流れ、そして花巻の産業組合、

 

また労働組合運動などのなかに置くことによって、賢治ワールドを読み解き、その迷宮 

 

にも似たしくみの解明に挑みました。これまでの評価の主な対立点もわたしなりに解決

 

したつもりです。

 

  逆に、賢治世界の究明から、新たな日本近現代の文芸文化史の展望が開かれる、

 

という関係です。

 

一例だけ紹介しましょう。賢治が横瀬夜雨の詩から、民謡調や (  )の使い方などを

 

学んでいることは確実です。賢治のメモに横瀬夜雨の名が記されています。

 

それらは、ともに賢治の詩を特徴づける要素であり、そして、ともに中原中也に受け

 

つがれました。 また横瀬夜雨の詩にはアイヌの伝説も登場します。

 

(7/14) 

*呂元明先生追悼論文集に寄稿予定の「満洲事変から『大東亜戦争』へ―

 

歴史認識のために」(100 /400 )を脱稿しました。 pdf

 

『近代の超克―その戦前・戦中・戦後』で展開した、タイトルの課題にそった部分の概略

 

を骨子とし、歴史的事実などについて、より詳しくしたものです。

 

たとえば、蝋山政道が「満洲国」建国に向かう動きのなかで、満鉄組合会館で行った講

 

演録「満洲時局に関する考察」(『新天地』1932 2 月号)とその意味を補いました。

 

  実は、蝋山政道のこの論文、船戸与一さんの「満洲国演義」シリーズに一部が引用され

 

ていたので、気になっていたのです。

 

蝋山政道としては、国際連盟が出来、アメリカ流の「門戸開放、領土不可侵」が国際的に

 

主流になっている情勢をふまえ、民族間の闘争や支配ではなく、指導―被指導関係

 

を築くことに植民地経営上の画期的な意味をこめています。

 

それは「満洲国」建国の「民族協和」の旗の理論的支柱のひとつとして働いたことは明ら

 

かです。実のところ、総務庁方式も蝋山が提案したものが採用されたといわれています。

 

その後の関東軍の「国家」行政に対する「内面指導」も、蝋山の提案に依拠したものとい

 

えましょう。つまりは傀儡政権方式に知恵をつけたということになります。が、傀儡政権方

 

式でなければ、「満洲国」の現実はつくられなかったのです。

 

のち、蝋山は「東亞協同体」論の提案に際して、「満洲国」建国は帝国主義侵略であっ

 

たと認めています。それを認めた上で、「満洲国」の現実は、一方的な搾取ではない、 

 

と述べています。投資額の大きさを言っているのですが、それもソ連と対峙しつつ、重工

 

業を育成するために必要なことだったのです。

 

  この文献ひとつとってみても、あるいは蝋山政道という学者の考え方の変化をとってみて

 

も、現在の、あるいは自分の立場から、対象を一方的に裁断するのではなく、「その時代

 

におけるその著者の立場を理解した上で、現在の知見や自身の立場から批判的に検討

 

する」という実証研究の基本姿勢が問われていると思います。どうしていつまでたっても

 

「相手の立場を理解した上で、批判する」という姿勢が研究者のイロハとして身につかない

 

のか、わたしには不思議でなりません。

 

それを撹乱する要因がいろいろあることは承知していますが。

 

 

( 7/4)

4/27 記事に追記します。

 

*他人の意見や批評・研究の現状を、自分が批判しやすいように「捏造する」ことは、絶対

 

にあってはならないことでしょう。たとえ無自覚で、結果としてにせよ、です。査読者や編

 

集者には、それをチェックする義務と責任があるはずです。

 

にもかかわらず、それがチェックされるどころか、「仲間誉め」がなされる傾向が「復活」 

 

しているようです。

 

たとえば、大正期の言論については「外に帝国主義、内にデモクラシー」が長く定説でし

 

た。第一次世界大戦(1914-1918)に日本が参戦した時期には、日露戦争に反戦詩を書

 

いた与謝野晶子でさえ、それを「正義の戦争」のようにうたっていました。

 

(ずいぶん以前ですが、これをわたしは示したことがあります)

 

しかし、明治の終焉期には「東洋と西洋の調和」が体制側の要人の口から語られるように

 

なっていたこと、また、1918 年に第一次世界大戦が終わると、国際協調路線が主流にな

 

り、修身の教科書にまで反映されていたことなども明らかにしてきました。それらと、修身の

 

教科書で天皇崇拝が強調され、また大谷光瑞らがアジア主義を提起し

 

たことなどは、別のことです (間接的には関連しているのですが)

 

とりわけ、1920 年に日本が国際連盟の常任理事国になったのち、国際協調路線は顕著

 

になります。

 

1919 年の 3.1 朝鮮独立運動、中国・台湾での 54 運動の高揚もあり、日本は朝鮮半

 

島の統治を「武断政治」から「文治政治」に切り替え、「親日」派の養成に力を入れるように

 

なります。

 

ワシントン体制(1922 )にも従い、ロンドン軍縮条約(1930 )も調印・批准しました。

 

国際連盟は傘下に ILO をもっていましたから、労働運動や大逆事件以来の社会主義

  

への徹底した弾圧も一定程度、緩みました。

 

この時期の文化相対主義、また「マルクス主義の経験」を踏まえてこそ、のちに「東亞協同

 

体」論などが唱えられることになります。大戦期の「近代の超克」の論義も同じです。

 

しかし、この間にも、シベリア出兵による軍事基地の存続、「在外邦人救済」を名目とした

 

山東半島出兵など膨張の衝動は現れています。第 3 次山東出兵(1926 年5月)では済南

 

事件を起こしました。

 

日本帝国主義は、このようなジグザグした過程を辿り、1931 9 18 日の柳条湖事件

 

に至るのです。

 

 国際情勢の変転に規定された、このように支配者側の政策転換を明かにしない限り、そ

 

れに対する反対運動などのリアクションを含めた思想文化史の研究は進みません。

 

いつまでも明治・大正・昭和戦前期の日本の文化史をとらえそこねたままでいることに

 

なるでしょう。

 

「帝国主義‐対‐反帝国主義」、「国策迎合‐対‐抵抗(ないしは、その組み合わせ)」という

 

二項対立図式では、その時どきの本土および植民地における知識層や大衆の動向の分

 

析は進みません。

 

なぜなら、「反帝国主義」にも、民族主義の立場や社会主義の立場などがあるからです。

 

そして蝋山政道や三木清が唱えた「東亞協同体」論や、その発展形としての「近代の超

 

克」の論義は、国民国家主義を超える広域ブロック論でした。

 

もともとポスト・コロニアリズムがフランスで唱えられたときには、それぞれの植民地の統

  

治形態のちがいが、後遺症のちがいとなって現れていることが問題にされたのです。

 

  日本の場合、地域差ももちろんですが、時期による国際戦略の転換が大きく作用しま

 

  す。それゆえ、わたしは、政策およびそれを支える思想の内実の変遷を強調してきたの

 

  です。 (今日では、言論弾圧の検閲基準を絡め、日本帝国主義を七段階に分けて考え

 

ることを提案しています。

 

➀国民国家の制度整備期 

 

A日清・日露戦争期

 

B大逆事件以降

 

C1920 年前後から 

 

D満洲事変以降 

 

E日中戦争期、とりわけ「東亞協同体」論から「大東亜共栄圏」構想まで。

 

F対米英戦争期   大東亜会議の宣言と植民地皇民化、横浜事件の齟齬に注目。

 

このような見解、とくに日露戦後のそれと、1920 年前後からのそれとを短絡させ、

 

「大正期は国際協調が主流」であったという意見がこれまでのメインストリームで

 

あったかのようにまとめ、大正期に帝国主義的言辞があふれていたことを例証して、

 

それを覆したかのように標榜する論文が、ある学会の査読付き機関誌に掲載された

 

ことがあります。

 

(当該論文の執筆者から、直接、わたしの見解を念頭において、それを「批判」したと聞き、

 

唖然とさせられた憶えがあります。それが短絡したまとめであり、それに対して帝国主義

 

的議論があふれていたことを示しても意味がないことはその場で示しておきました)

 

その後、日本と中国の日本近代文学研究者の共同執筆による研究案内書(2014

 

)の巻頭に掲載された、1980 年代から今日までの研究動向のまとめのなかで、

 

この論文が「画期的」と称賛されているのに出会いました。

 

ちなみに、この研究動向の執筆者は、少し前、貧困が取りざたされたとき、小林多喜二の

 

『蟹工船』(1929)の礼讃ブームを煽った人です。そして、そのブームについても画期的出

 

来事のように記しています。

 

『蟹工船』が葉山嘉樹『海に生きる人々』(1926)を下敷きにしたものであることは誰の目に

 

も明らかです。しかし、オルグが直面する苦労の数かずなどは捨象し、階級闘争の高揚

 

を「絵に描いた餅」のように描く駄作に類するものです。

 

日本の「プロリタリア文学」とその評価の歴史を少し勉強しただけで、了解されることでしょ

 

う。

 

時ならぬブーム――というのは、当時の「貧困」の問題を昭和戦前期の階級問題と結び

 

付けることには無理があるからですが、また結びつけるにしても、もっとましな作品がいくら

 

でもあるにもかかわらず、なのですが――のなかで、当然のことながら、『蟹工船』は盗作

 

に近いという議論も行われたはずです。

 

これは小林多喜二が官憲の手にかかり、悲惨な死を遂げたこととは、まったく別の問題 

 

です。念のため。作品と作家をペタペタにくっつけて評価する悪癖が蔓延しているようですね。

 

これらは一党派の恣意によって歪んだ議論といわざるをえません。いまに始まったことで

 

はありませんが、この種の議論は自ら墓穴を掘るに等しいことは歴史がよく語ってくれて

 

います。それが、これまでの研究者の「常識」だったはずです。

 

この党派の人びとが陰で、わたしの著述に何かと難癖をつけていることをわたしは知って

 

います。はっきりそれとして伝えられたもののひとつに、わたしが『日本の文化ナショナズ

 

ム』に、日露戦争で、日本が戦争ではじめて無線電信を用いた、と書いたことについて難

 

癖をつけられたことがあります。

 

無線電信が発明されて 10 年以上経つと、その人はわたしと並んだパネルディスカッショ

 

ンでも繰り返していました。わたしには何のことか、意味がわからず、無視しましたが。

 

その人は、どうやら、わたし(鈴木)が技術史に無知ということがいいたかったらしいのです。

 

若い人に教えてもらって、その人の真意を知り、唖然とさせられました。

 

最初のころの無線機の重さを想像できないから、そういうことが言えるのです。

 

日本海軍がロシアのバルチック艦隊を壊滅させた理由のひとつとして、それまで戦争に

 

用いられたことのない無線電信を用いたことは語り草になってきたことです。

 

用いなければ、霧の深い日本海で、逃げた敵の軍艦を見つけ、追いかけまわすことは不

可能です。念のため。

 

その話は、昔、わたしが編んだ「史話」のシリーズにも入れてあります。語り草になって 

きた、と書かなかったわたしにも落ち度があったとはいえるでしょうが。

 

なお、この点はロシアでもずっと問題にされていたようです。

 

当時、バルチック艦隊も、途中、イタリアで購入した最新式の無線機を積んでいたそうで

 

す。ところが、海戦に用いた形跡はありません。

 

従来の旗による連絡法に依存したのか、無線機が故障し、最新型だったために修理がで

 

きなかったか、のどちらかだろうと、今日のロシアの軍事専門家がいっていました。

 

ウラジオストックでの国際会議で、顔をあわせた機会に尋ねてみたところ、そんな答えが

 

返ってきました。

 

悪口のもうひとつの例をあげます。これは海外の研究者から伝えられたことです。

 

博文館の総合雑誌『太陽』における署名論文や小説の文体について、わたしが非常勤

 

講師をしていた私立大学の院生に手伝ってもらい、日露戦争後には「だ、である」体が圧

 

倒的多数になることを明らかにしたことについてです。

 

新聞の文体が 1920 年代前半に「だ、である」になることは、すでに明らかにされていまし

 

た。それゆえ、われわれは、知識人がメディアのコードに縛られることなく、書いた場合の

 

例として、『太陽』を調べたのです。複数の人間が複数回、数えています。あまりにきれい

 

な結果が出たので、念のため、調査対象の巻号を倍に増やしました。

 

それによって、普通選挙などについての政治論文などでは「だ、である」調になるのが遅

 

れることが分かりました。

 

しかし、その後、国立国語研究所が『太陽』の記事について、われわれが出したのとは

 

異なる数値を発表しました。それは無署名論文を含めた総計です。

 

その統計の数値の食い違いをあげて、「大学院生が調べたものなどあてにならない」と言

 

いふらした人がいたのです。調査目的のちがい、対象にした記事の性格のちがいを無  

 

視しています。たとえ数えまちがいがあったとしても、統計学上の誤差の範囲にとどまる

 

ものでしょう。結論は変わりません。

 

これについては、『日本語の常識を問う』にも書きました。

 

(この二例については 7/11 に付記)

 

これらわたしの研究については「批判のためにする批判」と考えられますが、それ以外に

 

も前提になる「常識」をあまりに欠いた議論が野放しにされる傾向が最近、目立ちます。

 

優れた仕事も出てきている反面、「ノイズ」に等しい「情報」を排除する装置がはたらかなく

 

なっているのです。詩や小説の読みのコードだけてなく、批評・研究の読みのコードも方

 

法のイロハも身に着けていない、自称研究者や評論家が多すぎます。すでに言われてい

 

るように、これでは、全体として、学知は低下するばかりです。

 

人文科学をないがしろにする風潮に歯止めをかけ、人文科学の有効性を高めるためにも、

 

あえて苦言を呈した次第です。

 

  〔付記〕上記の人たちとは別と思いたいのですが、かつて、わたしの研究者としての態

 

度に疑いを入れるかのようなことを、ある大学の紀要に書いた人がいました。

 

とても看過できるような内容ではなかったので、それに対する回答を示したことがあり

 

ます。どちらがまっとうな研究者の態度か、参照してください。

 

誤字もいくつかありますが、そのまま再掲します。

 

題して、

 

「『「宮澤賢治イーハトヴ学事典」を検証する : 先行研究の無視は「研究」足り得るか』

 

を書いた人は、はたして研究者たりうるのだろうか」   pdf

 

なお、この時点では、宮沢賢治とヘッケルの生物学との親近性に関心が向いており、

   

賢治の世界観が生命原理主義ではない、ということを明確にするにいたっていません。

 

今度の 『宮沢賢治―氾濫する生命』では、その点も明確にしています。

 

また、アトム説とエネルギー還元主義との関係などについては、『近代の超克』で一応

  

の結論を示したこともまとめて記してあります。(7/10)

 

また、賢治の詩法は、ウィリアム・ジェイムズの直接経験論があれば、ベルクソン哲学抜

 

きでも成立します。賢治はベルクソン哲学ないしその解説書を読んではいたでしょうが。

 

かつてベルクソンの影響を述べたわたしの見解は撤回します。(7/24 付記)

 

 (7/2) 

*船戸与一「満洲国演義」全九巻を読了。最後まで「巻を措く能わず」でした。

 

エンターテイメントの部類ですが、綿密にクロニクルを構成し、具体的に肉付けした歴史

 

フィクションの醍醐味を満喫。対米英戦争期の東南アジア情勢についても、教わるとこ 

ろ大でした。

 

作者「あとがき」にも示されていますが、何よりも日本の民族主義の変質過程をつぶさ

  

に追おうとする姿勢に好感をもちました。それは、軍部の様ざまな内部対立として、時期

 

ごとに集約的に示されています。

 

もちろん、この小説で描き切れていないところもあり――とくに対米英戦争期における

 

「満洲国」の協和会などの動き――、また個々の事件や成り行きに対して、端役として登

 

場する人物たちの岡目八目的評釈――それが全体状況の案内の役割を果たしていま

 

す――には、戦後における結果解釈的断罪的評価が反映しているといわざるをえない

 

ところもかなりあります。

 

が、それらは皆、これまでの歴史研究で盲点や欠陥になってきたところといえそうです。

 

その意味でも、昭和戦前・戦中期に関心をもつ人には、考える手がかりになる点があま

 

たある長篇であることはまちがいありません。

 

 

(6/22)

  *『日本文学の論じ方』の誤記を訂正しました。誤記誤植訂正覧を参照してください。

 

横光利一『上海』につき、五・三〇事件が日本資本の「在華紡」に対するストライキが発 

 

展したものであることを重々知りながら、「イギリス資本に対する」と書いてしまいました。

 

イギリス人警察官の関与と横光利一の「東洋‐対‐西洋」図式に引きずられたもので、作

 

品を読めば誰にでもわかる「うっかりミス」です。恥ずかしいこと限りなし。

 

 せめて、反面教師にしてください。情報を撹乱する情報(ノイズ)のはたらきに十分、注

 

意が必要という意味です。

 

  かつて、『雑誌『太陽』と国民文化の形成』で、博文館の社主・大橋佐平が長岡出身 

 

であることを承知の上で、高田の出身と書いてしまったのは、明治維新に微妙な立場 

 

をとった高田藩の事業家層と長岡の事業家層との共通性を考えていたゆえ。

 

また『太陽』のCD 版が八木書店から出ていることを承知しながら、雄松堂の『太陽』

 

マイクロフィルムを用いた先行研究(ジェイ・ルービン氏による)について書いた条を、

 

原稿枚数の都合で削る際にミスし、あたかも雄松堂から刊行されているかのような文面

 

になったことに並ぶような「事実に反する」誤記です。

 

  かつて『日本の「文学」を考える』で、島村抱月の死を「自殺」と書いてあきれられたこ

 

とがありました。

 

これは、スペイン風邪が猛威をふるうなかで、抱月が演劇活動を続けたことを「自殺

 

に等しい」という意味で書いたのですが、このようなレトリックは学界では、まったく通じ

 

ないことを思い知らされ、以降、気をつけることにしました。

 

中上健次が癌に身体を蝕まれ、余命いくばくもないことを承知で、日文研の国際研 

 

究集会への招聘に応じてくれたことも「自殺に等しい」と書くことは控えました。

 

 が、この手のことは、強弁のようにとられてもしかたありません。

 

  『日本語の「常識」を問う』で、『書経』(尚書)を書道の教科書と書いたように読める文

 

面が咎められたこともあります。これは、『書経』が失われた古い字体を知るよすがとし

 

て用いられてきたことを示そうとした文言が、著者校正の段階で文章を簡略化しそこな

 

い、変なかたちで残ってしまったために起こったことです。

 

中国の書道史をよく知る人からは、「すぐわかりましたよ、鈴木さんのいいたいことは」

 

と慰めてもらいましたが。

 

  67 にして、この体たらく。つくづく思い知らされる、わが粗忽ぶり、なのですが、この

 

ように誤記にも誤植にも様ざまな理由があります。それぞれの理由を反省することに

 

よって乗り越えてゆくしかありません。

 

     現在の電算写植システムでは、必ずしも著者の責任とはいえない誤植が多く発

   

生します。完全原稿を入れずに、著者校正の段階で手を入れるおまえが悪いと言わ

 

   れれば、それまでですが。何度、見直しても著者校正では「赤」が入るのも、実際です。

 

まして、校閲者を置かない出版社が増え、そうでなくとも、売り切るとデジタル版に移 

 

行する現在のシステムでは、重版の際、訂正する機会も与えられません。(そして、わ

 

たしの本は、デジタル版では読者がつきません)

          

せめてホーム・ページに誤記誤植一覧を掲載し、責めをふさぐしか手が打てません。

   

     なお、版元倒産のため、重版の機会がなくなった『「文藝春秋」とアジア太平洋戦争』

 

を教科書に使いたいという要望が寄せられています。これは来年四月前までに、なん

 

とかリメイクの運びとなりそうです。

 

昭和初年代に新中間層をリードしたリベラリストたちが、なぜ、あの戦争に深くコミット 

 

するようになっていったのか、について、わたしなりに解きほぐした本です。その後の知 

 

見を加え、全面的に手入れするとともに、その後の『「Japan To-day」研究』の成果を踏

 

まえて、一章、増やすつもりです。

 

     それはさておき、横光利一『上海』について、自分の記述の誤りに気がついたきっ

   

かけは、船戸与一氏を追悼する気持から、彼の「満洲国演義」シリーズを読んでいての

 

   こと。

 

主要登場人物の四兄弟をはじめ、全体はエンターテイメント・フィクションですが、

 

背景となる時代と舞台は克明に事実を再構成しています。「満洲国」および「昭和史」

 

に関心をもつすべての人に勧めたいシリーズです。

 

    関東軍の謀略、朝鮮軍の事変参加、万宝山事件、間島問題、上海における紅卍教、

 

台湾の霧社事件、トルコ独立運動との関連などまでが実に巧みに織り込まれ、時代風 

 

俗の把握の精確さにも感心させられます。

 

     満洲の地誌と歴史になじんでいない人には、とっつきにくいところもあるかと思います

 

が、研究者には必読書のひとつとして推薦したいものです。

 

第二巻と最終巻に参照した文献の目録がついています。これだけの文献を読み込 

 

みこみ、かつ当時の日満の新聞記事を丹念に拾い、事件相互の関係に想像をめぐら

 

しているからです。もちろん、国際関係にも。

 

  その第二巻の途中、五・三〇事件にふれた条に、「在華紡」という語を用いず、「日本

 

資本」と書いているな、と思ったとたんに、自分がどこかで「イギリス資本」と書いたこ

 

 とに気づき、慌てて何処に書いたかを思いだそうとした次第です。

 

何度も読み返してきた横光利一『上海』について、こんなミスを犯すなんて。忸怩た

 

る思いは、しばらく消えそうにありません。

 

いま、船戸与一さんの「満洲国演義」の第三巻以降を読み進めていますが、どんな

 

知らないことに出会えるか、楽しみです。またぞろ、自分の粗忽ぶりを思い知らされるこ

 

とになるやもしれませんが。

   

(6・7)

 *5月末からの連続講演・シンポジウム 3 つ、無事に終えました。

 

(5/26) 

*韓国・利花女子大国際シンポジウム(6・4)で keynote address とは別に配布予定

 の英語論文です。

 

「『東亞協同体』から『大東亜共栄圏』へ―検閲の変化をめぐって」

 

For International Conference, Ewha Institute for the Humanities, Jun 2015

 

From East Asian Nations' Community to Great East Asia Co-Prosperity 

 

Sphere;  the Censorship Changes in Japanese Journalism

   

     Sadami Suzuki ed. by Richard Torrance

                  this article pdf

 

CONTENTS

1, Censorship Changes and the Actualities of Japans Imperialism

 

      1-1, the Problem: the Overcoming Modernity Concept                        

1-2, Seven Stages of Japans Imperialism

 

1-3, Under the suppression of free speech

 

2, The theory of The Community of East Asian Nations 

 

2-1, what is the theory of The Community of East Asian Nations?

 

2-2, The role of the theory of The Community of East Asian Nations   

 

2-3, Gaps in Great East Asia Co-Prosperity Sphere

 

2-4, Censorship change in the war against U.S.A and U.K.  

 

3. Conclusion                                                   

 

(5/21)

 『満洲小事典』(筑摩学芸文庫)編集会議で項目選定作業をほぼ終えました。

 

*(5・18)

*「日本文化の近現代化のしくみと『近代の超克』;ノーベル文学賞作家二人の受賞

 

講演を手がかりに」 中国吉林大学国際シンポジウム 2014 年秋、基調講演 

  pdf をアップ・ロードします。

 

*韓国・利花女子大国際シンポジウム(6・4)keynote address 

 

「1920〜30年代ジャーナリズムが産んだ二つのジャンル概念;日記文学および随筆」

 

The Birth of Two New Genres from Japanese Journalism of 1920‘s to     

    1930’s,  Keynote Adress for International Conference, Ewha Institute for the 

 

                 Humanities, Jun 2015,   pdf with an appendix  

 

(5/14)

  『近代の超克―その戦前・戦中・戦後』につき、 『週刊読書人』(第3089号/

 

5月15日号)にユーラシア史家・三宅正樹氏による書評が掲載されました。 

 

願っても得られない、ありがたい言葉を頂戴しました。恐縮です。  pdf

 

三宅正樹氏のご指摘にあるとおり、カーライル『英雄伝』の第一章は、北欧神

 

話『エッダ』の神、オ―ディンについて述べています。

 

わたしはオ―ディンの「高き者の言葉」を神話詩とする定説に強く規定され、

 

『英雄伝』のいわば序文のように読んできたので、「筆が滑った」結果になりまし

 

た。

 

ヨーロッパの民族神話における「神」と「英雄」の連続性について一考が必

 

要なところです。(5・20追記)

 

 

(4・30) ずいぶん昔の話で恐縮ですが、昨年、1968-69年の東大闘争を博士論文の

       

テーマにしたいという人からインタヴューを受けたこともあり、気になっていたこと

 

を書いておくことにしました。

 

「東大闘争 1968年12月 23 日、加藤総長代行の対全共闘交渉申し入れの

 

決裂」問題について。

 

  清水靖久「東大粉争と戦後民主主義」(『丸山眞男手帖』第69号

2014.8.15

 

の註1に、「文学部処分も『白紙還元』が提案されたのに、全共闘は拒否した」

 

とあり、その問題を論じている小熊英二『1968』(2009)に対して、「『白紙還元』

 

提案の事実はない」と記してある。

 

この「白紙還元」の語は、鈴木貞美の回想記が出もとという。いささか、わた

 

しにも責任があるらしい。

 

当時、加藤総長代行の対全共闘交渉の申し入れをめぐる下交渉が進むな

 

かで、文学部処分の「白紙還元」という言葉が用いられていたことは、まちがい

 

ない。

 

清水靖久論文では、加藤総長代行の「再検討の提案」と書かれていることと

 

内容は同じである。

 

林健太郎文学部長の「処分の撤回は絶対ありえない」という立場に対して、

 

加藤総長代行は「処分を一旦白紙に戻し、検討しなおす」と提案しようとしたの

 

である。

 

  だが、「白紙に戻して、再検討するとは、処分をやり直すこと以外ではない。

 

これでは、なにも解決したことにならない」というのが、文学部ストライキ実行委

 

員会の統一見解だった。

 

その見解が尊重されたので、全共闘は、加藤総長代行の交渉の申し入れを

 

拒否したのである。  当事者にとっては、実に簡単な事実経過も、年月が経ち、

 

ノイズが入るうちに第三者には真相がわからなくなった一例だろう。

 

それから、訂正。先にふれた鈴木の回想記には、文学部のストライキを「二

        

年半」とあるときいた。もちろん、「一年半」の誤りである。ここに訂正しておく。

 

*(4・28)

『近代の超克―その戦前・戦中・戦後』につき、

 

 ➀海外の研究者から、京都学派座談会『世界史的立場と日本』の増刷の確証を得たい

 

というメールがありました。国内でも入手がむずかしいようですが、国会図書館にあり

 

ます。奥付けの pdf をアップ・ロードします。

 

 A今後の仕事の展望について、お尋ねも受けています。

 

 Bそれらとは別ですが、『入門』で、宮崎湖処子『帰省』(1890)について、ふれていない

   

のはなぜか、という質問を若い人から受けました。

 

 ABについて、まとめたメモをアップ・ロードします。 2015/4/28メモ    内容

 

・宮崎湖処子『帰省』と、その文学史上の位置について

 

   ・明治期文学に対する「自然主義」対「ロマン主義」図式の無効性

 

   ・今後の課題と展望

 

(4/27)

鈴木貞美の生命観の研究について、「概念規定が曖昧だ」という「批判」がささやかれて

 

いるらしい。種々雑多な概念の交錯する思想史を対象にする研究、地域と歴史を異に 

 

する思想について、その概念とその編制とを対象化する作業をしたことがない、それを

 

考えたこともない幼稚な議論といわざるをえません。

 

わたしは、自分の概念規定や価値観で対象を裁断したら、思想史や精神史はそもそ

  

も成り立たないという立場で仕事をしてきました。

 

今日の生物学による生命概念では、キリスト教の生命観も仏教の生命観も、トルストイ

 

やベルクソンの生命観も扱えない。実は、生物学における生命概念の歴史的変遷すら

 

対象化できない。歴史的にも、分野的にも、異なる概念体系に跨る考察を放棄するのと

 

同じです。

 

別の例でいえば、日本語「こころ」を“mind”か“heart”のどちらか一方だけの概念規定で

 

論じたら「片手落ち」とのそしりを受けるでしょう。未分化なまま用いている場合をふくめて、

 

文脈から、その用法・意味を見わけなくては文意も了解できません。

 

多様な概念を対象にする研究の方法を考えたことのない人が、概念規定が曖昧と

「批判」

 

するのは、わたしの論考を読んでいないか、読んでも、その方法が理解できないか、わた

 

しの議論を自分の背丈にあわせて偽造しているか、それらのどれかに分類されるでしょう。 

 

  「生命」の多義性、「いのち」や「Life」との重なりと差異については、『生命観の探究』第一

  

章第二節「『生命』ということば」にまとめてあります。参照されたい。

 

ただし、そのなかで、『とはずがたり』中の「せいめい」の用例をあげ、「仏教がらみ」とした

 

のは、誤り (p.60)

 

校注本のいくつかを参照して、そう書いたのですが、そののち、岩波

 

『新日本古典文学体系50』(1994)(だったと思う)の頭注に、安倍晴明の「せいめい」と

 

しているのに出会い、文脈から、それが正しいと判断しました。

 

この機会に訂正しておきます。すなわち、『とはずがたり』中に、「生命」の語は現れない。

 

(/2)

 中村真一郎の会・四季派学会 合同シンポジウムは、パネラーの皆さまの充実

   

   した報告のおかげで、きわめて盛会でした。あらためて感謝します。

(中村真一郎の会・幹事長・司会)

      

*池田亀鑑『宮廷女流日記文学』(1927)という新ジャンルの発明がおよぼした余波

 

が、堀辰雄の日記形式による「物語の女」(1934)から『かげろふの日記』(197)

 

に至る過程にはたらいたと考えてみてもよいかもしれない。

 

*4/8 『概念史研究 日本の日記と随筆』(本文 420枚/400字)をひとまず脱稿。

          

「説話」「批評」をあわせ、古代からの「文学」の下位ジャンルの解明に挑みました。

     

2016 年4月(臨川書店)刊行予定。

 

 

*『近代の超克―その戦前・戦中・戦後』の注記の乱れにつき、ご指摘があり、

 

訂正を、この hp 著作誤記誤植訂正ファイルに記入。さらに二か所追加。

 

*『近代の超克―その戦前・戦中・戦後』     目次 pdf をアップロードしました。

 

*わがライフワーク『近代の超克―その戦前・戦中・戦後』(1250 /400 )

 

が、2015 年2月刊行中です。                

 

「近代の超克」思想の淵源をイギリス産業革命期まで遡り、その国際的展開と

 

日本における受容史を、歴史の発展法則を信奉するマルクス主義諸派と歴史

 

の生成展開を説く「生命」原理主義諸潮流の拮抗する構図によって辿りなおし、

 

第二次世界大戦期の「近代の超克」論議とそれらをめぐる今日までの議論を総

 

括的に検討。20 世紀後半の内外の思想動向を見渡し、地球環境危機の時代

 

における学術の新たな総合的方法を提案します。

 

 

また、2008 年のサンパウロでのシンポジウムの報告書「近代都市化と現代文化; ブラ 

 

ジル-日本」がポルトガル語で刊行されます。

 

"Modernização urbana e cultura contemporânea: diálogos Brasil-Japão", edited

 

 by Andrea Urushima, Murilo Jardelino, Raquel Abi-Sâmara (São Paulo: Terracota,

 

 2015, ISBN 978-85-8380-028-6) 

 

*2014 年末、長春の呂元明先生逝去の報が届けられました。

 

謹んで深い哀悼の意を表するとともに、ご霊前に中日研究者の互恵的な関係

 

を築く努力を続けてゆくことを誓います。

 

 

*2014/12/24 whats new (2012 以前)のリンクが乱れていたのを張りなおしました。

 

 *2014/12/02 『研究法』誤記誤植訂正に追加(トップページから)

 

 

*「日本における「文学」と「芸術」概念の形成」(中国語訳)

 

劉東主編『中国学術十年精選』「芸術与跨界篇」(2014)に収録されました。

 

 

*2014/11/6 インド・ネルー大学の国際シンポジウムより様ざまな収穫を得て帰りました。

 

 

*2014/9/30 『中原中也研究』19 号に昨年の記念館での講演「中原中也の歩みと

 

『文芸復興』期」をまとめなおしたものが掲載されました。

 

 

*2014/9/26 深夜 吉林大学、北京師範大学の国際シンポのハシゴ、収穫の多い旅から帰りました。

 

 

*2014/9/25 午後  講演 「日本文学研究法-作品・作家・読者の関係について」北京師範

大学日本語日本文学科大学院

 

*2014/9/22-23   北京師範大学国際シンポジウムに参加します。

 

 

*2014/9/19-20   吉林大学外国語学院国際シンポジウムに参加します。

 

 

*2014/9/14 『日本文学の論じ方―体系的研究法』(世界思想社)が書店に並びます。

 

 

*2014/9/11 下記の著書および論文の誤記訂正をアップロードしました。トップ・ページより入

 

れます。

                

*『日本文学の論じ方―体系的研究法』            

 

*「『随筆』とは何か―概念編制史からのアプローチ」

 

          荒木浩編『中世の随筆―成立・展開と文体』)

 

*2014/8  EAJS 2014 年大会は、諸般の事情により、

 

      ロマン・ローゼンパーム氏に託して論文参加にしました。

 

*2014/6/22  中国東北師範大の日本語日本学学会に参加します。

 

      23  午後、吉林大学で講演します。

 

*2014/05/3031 韓国・済州大学で、「自然(技術)と人文(価値)」をめぐる文理統合研究の

 

日韓シンポに参加し、帰国しました。

 

*2014/05/25 『戦後文学の旗手・中村真一郎―「死の影の下に」五部作をめぐって』

 

が水声社より五月下旬に刊行されました。

 

*2014/03/30  『文理統合研究の有効性; 総研大・学融合推進助成プロジェクト・シンポ

 

ジウム 2013/10 報告書』 (非売品) が刊行されました。

 

基調報告と司会をつとめています。

 

 

*2014/03/01  3/2028 武漢・南京に講演旅行に行きます。

 

 

*2014/01/21 宮沢賢治架蔵本のうち、オストヴァルトの「真理とは何ぞ」「不死不

      

滅」のドイツ語本は、ドイツで刊行されたものではなく、南江堂最新

      

作家紹介教科書シリーズ第2巻、第3巻(ともに1918)であることを前

 

田富士男氏が指摘しておられます。

 

(「モニスムと生気論と生命中心主義―宮澤賢治/中原實/バウハウス

 

にみる芸術と生命」山野英嗣編『東西文化の磁場―日本近代の建築・

 

デザイン・工芸における境界的作用史の研究』国書刊行会、2013

 

p.256)

 

わたしは、これらを賢治がドイツから取り寄せたものとばかり思い、

 

ドイツに照会をかけるなどしてきましたが、ここに訂正しておきます

 

(論集をご恵贈戴き、一読して、気づいていたのですが、HP掲載をサ

 

ボっておりました。

      

 なお、「モニスム同盟」のモニスムの内実がずっと気にかかってい

 

ます。おそらく物理化学還元主義が精確な内容かと推測されます。唯

 

物論者ゆえに霊魂死滅論のヘッケルのあとを、エネルギー一元論ゆえ

 

に霊魂不滅論を唱えるオストヴァルトが引き継ぐのですから。

 

もちろん、ハンス・ドリーシュとその賛同者たちは、このグループ

 

と距離をとっています。(5/10)

      

 

*2014/01/12  内モンゴルの零下 20 C は乾燥していたせいで、爽快でした。

 

*2013/12/27   「日文研の 25 年 バーバラ・佐藤さん」(最終回)が『産経新聞』夕刊4面に。pdf

 

 

*2013/11/28   「日文研の 25 年 クロッペンシュタイン氏」が『産経新聞』夕刊4面に。pdf

 

 

*2013/11/19  クラクフのポーランド日本学会から帰国しました。  

 

 

*2013/11/12  北京・広州講演旅行から帰りました。明日、ポーランド日本学会(クラカウ)に発

 

ちます。

  

 

*2013/10/31  「日文研の 25 年 リ・ハンソップ氏」が『産経新聞』夕刊4面に。pdf

  

 

*『エネルギーを考える--学の融合と拡散』金子務と共編/総研大・学融合推進センター

 

  助成プロジェクト報告書/作品社/2013/10, 298 頁 が刊行されました。

  

 

*2013/10/17 

 

10 21 日に北京に行き、清華大偉倫特任教授としてゼミナールと講演をします。

 

また北京の三つの大学で講演します。

 

10月上旬には広州外大と南大学へ講演に行きます。

  

 

*2013/10/13 総研大学融合推進センター助成研究プログラム「文理統合研究の有効性を

 

探る」の総括シンポジウムを東京駅八重洲口で。

  

 

*2013/09/26  「日文研の 25 年 中国・清華大学」が『産経新聞』夕刊4面に。pdf

  

「堀辰雄『芥川龍之介論』をめくって」が『文学』9.10 月号に。

 

 

*2013/09/19  10 月中旬、総研大学融合プロジェクト論文集、金子務・鈴木貞美共編

 

『エネルギーを考える』が作品社より刊行されます。

 

10/13  総研大学融合プロジェクト「文理統合研究の有効性を探る」総括シン

 

ポジウムを東京駅八重洲口近くで開催します。

 

*2013/09/11  北京・清華大偉倫特任教授としての集中講義より京都に戻りました。

 

『入門』の誤記、誤植訂正を追加。

  

 

*2013/08/29  「国際共同研究の 25 年」第 11 回 ポーランド)が産経新聞夕刊 4 面に。pdf

  

 

*2013/08/01  「国際共同研究の 25 年」第 10 (ヴォルフガング・シャモニ氏)が産経新聞

 

夕刊 4 面に。pdf

  

 

*2013/7/31  18 回中原中也の会大会予告 講演「中原中也の歩みと『文芸復興』期」

 

要旨が中原中也の会 会報 34 号に。

 

 

*2013/06/27   「国際共同研究の 25 年」第9回(ジェイ・ルービン氏)が産経新聞夕刊

 

4 面に。pdf

  

コラム「大正生命主義」が『日本思想史講座4』(ぺりかん社)に。

 

 

*2013/06/16  『入門』誤植訂正を追加。青字にしています。

 

 

*2013/05/30   「国際共同研究の 25 年」第8回(呂元明氏)が産経新聞夕刊 4 面に。

pdf

 

 

*2013/05/24  6月初旬の山東半島講演旅行の題目とスケジュールか変わりました。

 

 

*2013/04/28  パネルディスカッション「 『中村真一郎 青春日記』と旧制高校」(依岡隆児、

 

竹内洋と)が『中村真一郎手帖』第8号に。

 

 

*2013/04/25  「国際共同研究の 25 年」第7回(ジャン=ジャック・オリガス氏)が産経新聞夕

 

         4 面に。pdf

 

 

*2013/04/23 著作一覧(2012 年度まで)に遺漏等があり補填しました。

 

 

*2013/3/31  本日をもって国際日本文化研究センター、総研大文化科学研究科を定年退

 

職いたしました。

   

        当面、フリーランスで、執筆、内外での講演、集中講義に専念いたします。

 

         ただし、人間文化機構在外研究資料プロジェクト、および総研大学融合プロ

 

ジェクトには、一構成員として、ひきつづき、成果報告書の作成等に携わります。

 

 

*2013/3/30 総研大学融合プロジェクト・シンポジウム「情報を考える」では内容の濃い論議

 

が交わされました。

         

ご参集のみなさまに深く感謝いたします。

 

 

*2013/3/8  退任講演会を無事に終了しました。ご来場のみなさま、ありがとう存じます。

 

講演の様子は、日文研 HP から、ビデオで見られるようになるはずです。

 

 

*2013/3/30 「国際共同研究の 25 年」第6回(ロイヤル・タイラー氏)が産経新聞夕刊 4 面に。

pdf

 

 

*2013/0/28  「国際共同研究の 25 年」第5回(陳建功氏)が産経新聞夕刊 4 面に。

pdf

 

 

*2013/02/13  2013/01/09日文研所長懇談会「日本の人文学―その可能性を考える」

 

の模様が朝日新聞(大阪本社)夕刊5面に。pdf

 

 

*2013/01/31  「国際共同研究の 25 年」第4回(オーギュスタン・ベルク氏)が産経新聞夕刊

 

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*2013 年1月 17 日 『入門 日本近現代文芸史』(平凡社新書)が刊行され

 

            ました

               

 近現代文芸文化史を全面的に書き換えるニュー・スタンダード!

 

                  明治以来の思想文化の足取りを再考、「文学」「日本文学」をはじめ、

「純文

 

学」「大衆文学」「私小説」「心境小説」などジャンル、 「リアリズム」「ロマン主

 

義」「象徴主義」「モダニズム」など文芸思潮の主要概念、古典評価の歴史を

 

洗いなおし、 「言文一致」神話を解体、「自然主義」は内実のない符牒にす

 

ぎないことを論証、既成の文芸文化史観と俗説を退け、日本文芸史を編み

 

なおす。

 

明治期からの主要作家、詩人、批評家たちの相貌が変わる。村上春樹、

 

赤坂真理まで。

 

*2013 年1月 15  

李征・鈴木貞美共編『上海 100 年―日中文化交流の場所(トポス)』が勉誠

 

出版より刊行されました。

 

 

*2012/12/27  「国際共同研究の 25 年」第3回(カイロ日本文学サロン)が産経新聞夕刊

 

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*2012/11/29  「国際共同研究の 25 年」第2回(ビル・タイラーの想い出)が産経新聞夕刊9

 

面に。pdf

 

 

*2012/10/25  「国際共同研究の 25 年」第1回(ヴェネツィアで谷崎シンポ)が産経新聞夕刊

 

4面に。pdf

 

 

●進行中の編著書、翻訳書

 

・『「日本文学」の成立』魏大海中国語訳、上海復旦大学出版、2012年予定

 

・『日本語の「常識」を問う』魏大海中国語訳、上海復旦大学出版、2012年予定

 

・『日本の「文学」を考える』韓国語訳、2015 年予定。

 

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